2021年5月11日火曜日

清めの儀式について

 清めの儀式について、特に場の清めについての話です。

少し前の話ですが、新しい家に引っ越す方に頼まれて家の清めをさせて頂きました。時々頼まれて行うのですが、まづ賃貸物件でも入居する前に何もない状態で部屋を全て掃除して置いてもらって、それから清めの儀式をします。

実際問題としては、完璧な掃除ができていればそれ自体が清めとなるのということは以前

「魔女と箒の話」

でも書きましたが、生活が始まってから常に完璧に掃除と片づけがなされている、ということは現実問題としてなかなか難しいと思いますし、場合によっては外出先でマイナスのエネルギーを背負ってきてしまうこともあります。

そうなったら、よくないことが連続で起きるようになってしまったり、それこそ負のスパイラルに入ってしまう場合すらあります。そこで、そうしたことを防止するために清めの儀式を行います。

だからといって、清めの儀式をしてあればその後は掃除や片づけを手抜きして良いというわけではありません。そうした日常で普通にすべきことはきちんとした上で現実的にどうしようもない場合に備えて、というものなのですから。

当然、こうした清めの儀式を完璧に行い、場合によってはそれ以上のことをしていても、その後片づけや掃除をあまりにもしなかったためにそうした効果が一切なくなってしまい、色々な問題を自分から呼び込んでしまう人もいます。

では「現実的にどうしようもない場合」「それを越えてしまう場合」というのはどこで分かれるのでしょうか。


実はこれは実際問題としてはここの場合によりけり、ケースバイケースというのが正直な回答なのですが、それでも「自分の場合大丈夫だろうか?」という判断をする手がかりというものは幾つかあります。その一つは


「~という事情だから仕方ない」

「頑張ってもここまでだから仕方ない」


等、片づけなどができていない状態に対して自分で理由をつけて「仕方ない」という言い訳が出てくる場合は大体の場合アウトです。「言い訳でなく、実際にそうだ」などと思うようだとかなり重症です。

逆に、

「いくらこのところ忙しかったとはいえこのままではまずい

「体調が悪いとはいえ、これはまずい


等というように最初から素直に思えて、なおかつ


「それでは今できる片づけだけでもしよう


と何かを1つ棚に戻すだけでもできれば、その瞬間から意識して片づけなどをすれば大丈夫です。

他にも色々な基準はありますがほとんどに共通するのが

「汚いのはしかたない」

とどこかで思っている場合は既にかなりまずい事態になりつつある、と考えて間違いありません。

魔女といえば箒、というイメージがあるくらいです。魔女に興味を持つ方は今からでも「掃除と片づけ」にも興味を持ちましょう。そんなこともあり以前「掃除の話(1)」~「掃除の話(4)」をかいたのでした。

まじめな話、それがあるかどうかだけで随分と違ってくるものです。


(「何が随分違ってくるか?」ですか?色々と本質的なものを指しています。文章の最後の一言というのは意外と意味深なものです)