「生きる目的というのは実は誰にも、いつどのような時でもあります」
このように断言する人がいると
「私には生きる目的がない」
と反論する人が出てくるでしょう。これは当然です。もちろん、しっかりとした「生きる意味」や「生きる目的」を持っている人もいます。でも、持っていない人もいるのは当たり前のことだからです。私自身、20代の頃は「生きる目的」などは全くなく、それどころか「死に場所を探すためだけ」に生きていましたから。極論で言えばこれも「生きる目的」といえなくはないですが、それは「自殺の方法を探している」等と同様に本末転倒でしょう。今回は少し私自身の話をメインにお話したいと思います。
当時の私は、今になってよく考えれば「死にたかった」わけではないのですが「生きていたくもなかった」という気持ちが自分の中で支配的でした。ただ「自殺はどうにも後々損だ」という実感を持っていたのでそれは考えませんでした。なので「死ねる場所としての死に場所」を探していたのです。
もっとも私の場合、少し他の人と違っていたのは「死への恐怖」は全くなかった、ということでしょう。
よく「人間はわからないものを恐れる」と言われますが、これは一面の真理で、私は私なりに「死を知っていた」からそもそも怖れがなかったのです。私がどう「死を知っていたか」という理由は3つありました。
まづ1つ目は「生まれつき霊体が見えていた」ということです。世の中には「透けて見える人とそうでない人がいる。透けている人はぶつかっても大丈夫だけどそうでない人にぶつかると痛い」という認識を持っていたのです。なので5歳くらいの時に「他の人には透けている人は見えていなかった」ということが分かった時はとんでもない、それこそ人生最大のカルチャーショックを受けました。そのくらい霊体というもの事態が「当たり前の存在」だったのです。
次に「断片的ながら前世をしっかり憶えていた」ということがありました。後々になってそれは前世ではなくてもう少し前の過去世だったと分かったのですが、ここで私にとって大事なのは「人生は連続していて一回きりではない」ということを最初から分かっていた、ということなのです。そうなると「死というものは区切りの一つでしかない」という事になります。
そして最後に、これが一番大きいのですが、生後8カ月で小児結核、2歳で小児ネフローゼと18歳までの半分以上を入院していると昨日まで廊下で楽しそうに遊んでいた子供が翌朝死亡退院という場面をそれこそ数えきれないほど見てきました。そして、当時の医療のレベルでは小児ネフローゼの致死率は非常に高く、同じ病気の子がしょっちゅう死亡退院していくのを見ていました。それは同時に自分がいつ死亡退院してもおかしくない、というリアルが毎日突きつけられているという状況ということです。これで死を恐れるわけがありません。私にとって「死とは日常の一つ」であり、恐怖する必要があるものでは完全に無くなっていました。そんな状態だったので私にとって「死を恐れる理由」が全くなかったのです。
そうした幼少年期を過ごすと「死を恐れる」という発想が完全に無くなります。そしてそれは同時に「生きていく意味」も奪います。これは私の個人的な感覚なのですが「生きる意味」というのは「死の対極」にあるものなのだと思います。そして「死」に意味がなくなると「生きる事の意味」自体が薄っぺらく、軽いものになってしまうのと感じるのです。もちろん、これは一面的な見方だと思いますし、そうあって欲しいとも思うのですが、同時にこれは一面の真理でもあると思います。
結局私は「いつ死んでもおかしくない」という周囲の共通認識の下で成長したので、当然両親含め周りの大人は「私の将来」など考えてもいませんでした。当たり前といえば当たり前です。明日生きていることがありがたい、という子供の将来を思い描ける親や大人が世の中にどれだけいるでしょう。一応子供心に何回か抱いた「将来なりたいもの」もすべて「この体では無理」と簡単に終わってしまいましたし、そもそも「毎日コンスタントに仕事をする事自体無理」と決めつけられていたので私自身も「とりあえず今日生き抜くことに集中しよう」となったのでした。そんな状況で「生きる目的」などできるはずもありませんでしたし。
ところが18歳になった時、いきなり全部完治しまして途方に暮れました(笑い
ただ、それまでに高校受験を中心(このことはい連れ機会があれば。私を大のアンチキリスト教にした原因です)にすっかり世の中を信じなくなっていた私はそのまま社会にあまり真っ正面から向き合わず(せいぜい学生運動くらい)、いわゆる「良い学校に行って良い会社に入って……」という一般的に普通といわれる路線とはまったく無縁になってしまっていました。そうなると本当に「今やりたいことをする」くらいしか思いつくものもなく、先を見据えた「生きる意味」というのは全くなくなり、「生きる目的」も当然なくなっていました。
そもそも世間でよくいう「生きる意味」や「生きる目的」のようなものは結局先を見据えて、というのが暗黙の了解で頭についている気がします。そういう意味では当時の私にはまるでそうしたものとは縁がありませんでした。
ただ、どうしても「自分が痛い」「自分が苦しい」は嫌なのでそういう死に方は絶対嫌だな、というのは絶対的なものとしてありました。
そんな感じだったので私が救いではないけれど「何か」を求めて宗教遍歴を重ねたのはある意味当然だったと思います。そうした中で運命的に巡り合ったWitchcraftは自分にとって一番しっくりと来る宗教だったのは間違いありません。ただ、だからといってそれが私に「生きる意味」等をくれたわけでもありませんでした。ただ「死に場所を探すという生き方から縁が切れた」程度の話であり、そういう意味ではそれ以上でもそれ以下でもなかったのです。
やがて、年をとると共に、そしてまた病気が立て続くようになった時、思いもしなかった変化が自分の中で起きました。それは「自分が受け継いだ伝統を自分の代で絶やしてはいけない」という使命感、といえば格好いいのですが、その実
「そんな状態であの世に逝ったら師匠に何を言われるか」
という方が素直な言い方でしょう。
そして、更に年をとる毎に「後進を育てなければ死ねないな……」とか「次の世代の人たちに自分が欲しかったものを残しておかないとな……」等の「今死ねない理由」ができてくるようになりました。
正直私には今も「人生の目的」とか「生きる目的」というのはたぶんありません。このままだとたぶん一生持たないでしょう。私にはただ「死ねない理由」の裏返しの「生きていく理由」があるだけなのだと思います。でも、私にとってはそれで十分なのだとも最近は感じています。結局どれだけ生きるか、という事よりも、どう生きるかの方が重要なのだと感じるのです。
私にとってこの辺りの感じ方というのは、私の考え方に大きな影響を与えています。もちろん全て、ではありませんし、全てに、でもありませんが。どうにもまとまりがよくありませんが、ちょっと振り返りながら書いてみました。