Witchcraftが日本の神道的な考え方と近いものを持っている、ということをいう人が少なからずいます。たしかにWitchcraftも神道も多神教であり、自然の中に神性を認める、という意味では「この2つは似ている」と思ってしまっても不思議ではないかもしれませんし、最初そう思うのも理解できます。
しかし、ある程度実践していったり、学んでいったりした上で、なおかつ同じ感覚を持っている人は結局「どちらも分かっていない」というパターンにはまってしまっていると思います。もちろん、元々理解するセンスがない人もいると思いますが、同時に「学ぶ方法を間違ってしまっている」という人も多いのだと感じています。実際ネット上には
「もっともらしい間違った知識」
「いかにも実績がありそうな嘘」
「いかにもしっかりした裏付けがありそうないい加減な話」
などが沢山あります。そういうものに引っかかってしまったら、いくら学んでもどんどんおかしな方向に行く以外ありません。
私がよく使う例ですが、東京から京都に向かって行こうとして「北へ北へ」と向かっていけば努力すればするほど目的からははずれていきます。国道ならば標識があるので「仙台〇〇㎞」などが出てくれば「あ、間違った」と気がつくチャンスもありますが、こうしたものには間違いを気づかせてくれるものがないのではまったらはまったまま、になってしまうのです。
閑話休題
誤解している人や間違って学んでいる人は別として「Witchcraftと日本の伝統宗教などは似ている」と思っている人は、本来のWitchcraftにはついていけないか、あるいはそもそも向いていない人だと思います。
元々私は若い頃、仏教や神道の修行をしていて、結局それが自分の中でどこか納得できず、結局ウイッチクラフトに、という流れだったので最初の頃は自分の中で今までやってきたことと接続できる部分があるかもしれない、と思いつつ、結局はそれが誤解であることにある意味安堵した、という経験があるので「似ている」とはどうにも思えません。
あるベテランの魔女が「英語を話すための感覚的なものと、ウイッチクラフトの適性って似ている気がする」ということを行っていました。これはまさに至言だと私は感じました。
そもそも英語と日本語には大きな共通点があります。
第一に英語はフランス語の、日本語は中国語という他国語の影響を形は違えど大きく受けています。さらに話し相手を信頼しゆだねる部分が大きい、省略形式が多い島国的な言語(これをIsland form:島国形式)という共通点もあります。しかし、それでいて、極端な省略形式を信頼の証とする日本語の形式と大陸言語の相手を信頼しきらないという特徴を併せ持っている英語とは根本的なところでまるで違います。その感じに近いと私はそれを聞いて思いました。
この例を元に考えると、日本語と英語は日本と英国が々島国だから似ている、と決めつけるのと同じような誤解を「Witchcraftと日本の伝統的宗教は似ている」という発想には含んでいるといえるのです。