2021年4月17日土曜日

かわらないこと、かわろうとすること

 10年くらい前からだろうか、同年代の人たちから「年をとった、年をとった」というセリフをよく聞くようになったのは。そうした話を聞くたびに内心「私は20代の頃からあまりかわっていないな」と、自分はまだまだ若い気でいました。また、仲のよい友人とも「お互い20代の頃から変わらないなぁ」などと笑いあっていました。


しかし、ちょっとしたことがきっかけで自分が若かった頃、ちょうど今の私くらいの人を見ながら「この人は時代後れだ」とか「古い考えから脱却できないんだなぁ……」などと思っていたことをふとリアルに思い出したのです。そしてよくよく考えてみると、当時の私には思いも寄らなかったことですが、若かった私にこういう感想を持たれていた彼らは「私は20代の頃からあまりかわっていないな」と内心思って、自分はまだまだ若いと思っていたのではないか、と気がついたのです。


つまり、年をとる、ということは考え方が年と共に年寄りらしく(?)「変化」して年寄りになるのではなく、ある時期から「変化しない」ことで年寄りになっていくのではないかと思ったのです。そして、その視点で自分や周りを見回していくと、なんと恐ろしいことにこの考えはどうも間違っていなそうだ、という不都合な事実にたどり着いてしまいました。


たしかに人間はある年齢からは寿命から逆算してできること、できないことを考えるようになっていくと思います。しかし、若い頃は待ちがっても「寿命から逆算」などという考え方はしませんでした。実はこの年をとってくると当たり前の「寿命から逆算」という思考を無意識にしてしまうことが人生における挑戦や前進を「正当な言い訳と共に止めてしまう」ものの大きな一つだとだんだんと実感してくるようになりました。そして同時に、こうした考え方が無意識に出てくると「自分が変化しないことを肯定的に」とらえてしまい、結果として、本当は進歩や成長を止めてしまっているだけなのに「自分は若い頃から変わっていない」という恐ろしい現状を精神の若さと勘違いしてしまうのです。


これに気がついたとき

「まずい、これは老人まっしぐらだ!」

と恐怖を伴った危機感を感じました。あれから10数年、実際どのくらい自分が若さを取り戻してこれたのかはわかりません。それでも、あの頃よりは少しくらいかもしれないけど若返れた気がしています。アンチエイジングという言葉がありますが、最後まで「精神のアンチエイジング」をしていくことが大切なのだと思います。また、そうした若さを保っていかないと若い友人たちに取り残されるばかりとなり、自分でも実感するほどに時代に取り残されて寂しく生涯を終えることになるのでしょう。無論、そうした人生の終え方に満足して逝く人もいるでしょうし、それを私は否定はしません。でも、私は嫌だなぁ、と明確に感じています。