かなり以前からファンだった作家の久々の新作を拝読しました。ところが、今回はなぜか「新作が出る」という広告を見た時から、つまりまだ題名も知らないうちから、かつてのように積極的に読みたいと思いませんでした。思わなかったというか、もっといえば思えなかった、という方が正確かもしれません。
その理由はわからなかったのですが、気が付くと発表されていて、更に数日してから、しかも人から著書を手渡されて初めて読むという今までにない経験をしてしまいました。これまで発売当日に必づ手に入れていた私としてはあり得ないことでした。そして一通り読んだ後、なぜ自分が今回の作品に対して今でと違っていたのかがはっきりしてしまいました。もちろんつまらなくはないのですが、正直面白くもなかったのです。
もちろん、書いてあることには非常に共感できるし「いかにもこの作家という独特の文体」も健在でそうした部分については全く期待外れではありませんでした。
でも、ちょっと読んだだけで先が読めてしまうのです。もっと言えばオチが見えてしまうというか。たしかに作者の言うことには一貫性がずっとあるし、思想のぶれもあまりません。そうした意味ではどんな作品を書かれるにしてもしっかりと一貫したポリシーの元に作品を書かれているのでしょう。でも、残念ながらかつてのように何度も読み直したり、人にも積極的に勧めたり、という気持ちにはなりません。そこまでの魅力や輝きをもう感じられなくなってしまったからなのです。
それは作家ご本人が一貫してぶれずに持っているポリシーを貫いている姿勢の中に、その実、そこから更に前進することから逃げているのがどうにも透けて見えてきてしまったからです。そう思って過去作を読み返すとある時点を境にその傾向が時と共に強まっているのが読み取れてしまいました。もう一度、今度は作品を時系列順に読み返すともっと明白にある作品を境に作家の視点の進歩が止まってしまい、自分が前に進む努力をやめた、あるいはその勇気を捨てたあたりから「自分が前進しないこと」をあたかもポリシーのある保守主義のように自分に言い訳しているような変化をし始めていたのです。
正直、これは私にとって結構なショックでした。それなりに熱烈なファンとして読み続けていたのでかえって気が付かなかったのかもしれません。そして同時に私自身、同じことをしてしまっていないか急に、決して比喩でなく背筋が凍る気がして不安になりました。しばらく考えたのち、おそらくこの不安を持てたということはまだ大丈夫だと悟り、ほんの少し安心しました。しかし、人というのは誰しも、当たり前ですが、今この時も休むことなく老いてゆくのです。10代の若い内は努力など全く不要に年と共に成長していきますが、大人になってからは意識しないと「ただ老いてゆく」ことになるのです。
自分が成長をし続けようとか、自分は死ぬまで前進し続けよう、などという格好の良いことを宣言する気はさらさらありません。ただ、一つ所に止まって先に進まないことを、一見格好よく、実は自分をもごまかすような言い訳をするようにはなりたくないと思いました。件の作家の作品はこれからも発表されるたびに読んでいくと思います。色々思うところはあってもやはりその文体などは好きなので。でも、同時に今後は毎回痛々しさを感じながら読むことになるのだと思うと何とも言えない微妙な思いが残ります。それでも、ファンとしては「奇跡」が起こることを祈らざるを得ないのです。