人間年をとったな、と思う瞬間というのは節目節目でいきなり具体的な形で実感することがあります。とはいえ、年をとるのは誰しも避けることができないことなので仕方ないといえば仕方ない。
それは別として、今の若い人と私の年代を比較するとそこにはそもそものベースの違いが絶対的なものとしてある事を老若どちらの年代もしっかり自覚をしておかないとお互い根本的なところですれ違いを起して意思疎通不能になっているのにお互い気がつかないで突き進んでしまう。
ちょっと古い話をしますが(「昔」話とかぢやなひですよ……)、CDが世の中に普及し始めた頃、私は「あんなものには味がない。レコードの方がいいに決まっている」とCDを徹底的に馬鹿にしていました。そうしたある日友人が「CDプレーヤーを買った!」というのでその日の夕方彼の家に覗きにいきました。そしてその帰り道……
その足で電気屋に行ってCDプレーヤーを買って帰りました(笑い
あの音質の衝撃は凄かったですね。
もう少し前、40年くらい前の話ですが私は当時から原稿執筆をすべてワープロ(2000年2月で新製品は無くなりました)で行っていました。その当時
「ワープロは最後の文房具だ」
というのが私の口癖でした。しかし……1995年にWindows95が出た後、
「パソコンって素晴らしい……」
と、簡単に転びました(笑い
今の若い人には好きな女の子に電話したときに親が出たらどうしよう、等という悩みは持たないでしょうし、私の大学時代の友人のように「好きな女の子のお母さんに愛の告白」をしてしまうなどという恐怖体験はしようがないでしょう。
また、私が学生の頃は
「文章がうまくなりたければラブレターを書け」
という言葉がありました。これは明治時代の高校生(今の短大と同じくらい。高校卒業したら教員免許がもらえました。そこから更に帝国大学に進学すれば超エリート)がよく言っていたらしい言葉で、でも、これは昭和の時代には何だかんだ言って正論でしたが、今ラブレターを書く機会のある若者はどれほどいるのでしょう。
このような感じで昔成り立ったものが今はそもそも存在しない、ということすら普通になっています。
生まれた時からインターネットがあり、携帯電話があり、メールがあり、CDが安い媒体として普及し……これははっきり言ってそれ以前の時代の人間から見れば別世界の話です。私たちの頃はジェネレーションギャップといっても、前述したように明治時代から受け継がれ,それが成立していたものがいくつもありましたが、20世紀から21世紀に代わっていく中でそこにははっきりとした断絶が起こっていたのです。スタート環境がこれほど違えば発想も考え方も違ってきて当然です。
私たちが強要された根性論や行き過ぎた和の精神、そうしたものたちは姿を消した、というよりも今の若い人たちにはそもそもぴんとこない、のではないでしょうか。また、努力の尊さは変わらないにしてもその価値には大きな変化が出ているとも思います。それは当然のことで、同時に過去の遺物の方が良かったとはその時代を生きてきた私にも言えません。
近頃の若い人たちは20世紀に青春を過ごした世代とはべースという意味でも全く違っています。この「違う」ということをお互いに意識していることが大切なのだと思います。私自身そうですが、年をとるとかつて自分にとって価値があった概念や考え方を今でも通じるかのようにえらそうに若者たちに語りたくなる衝動が出てくるものです。私だってそれを否定はできません。しかし、そんな衝動は捨て去って、若い人に習い、若い人を頼り、若い人にまかせ、若い人の考え方を正しく評価する。これがもしかすると一番自分を老化させないコツなのかもしれません。
そして、そういう気持ちで入れば、若い友人たちと対等に人生を楽しむことができますし、劣等感というものからも開放されます。還暦過ぎて若い人に劣等感をもつとか、どう考えてもみっともないですしね(笑い