大体において、何かに固執しすぎることによいことはありません。もちろん、学問の研究などは一つのものにある程度、あるいはそれ以上固執する必要があることもありますが、それでも「しすぎる」と他の視点を失って行き詰ったり、進まなくなってしまったりするものでしょう。とはいえ、今ここで話題にするのはそうした学問上の話ではなく、私たちが生きていく上での話です。
何かに固執するということは粘り強く何かを成し遂げるには必要なものなのは言うまでもありません。しかし、何事にも程度というものがあります。ある程度を越えた固執というのは大体においてろくな結果を生みません。ただ、私がこんなことをここで主張するまでもなく、誰でもそのことは程度の差こそあれ実感されている事でもあると思います。
怖いのは「固執しているつもりなく固執しているもの」です。私が自分自身でも意識して立ち止まり、振り返り、注意しているものがいくつかあります。例えば「ポリシー」とか「信条」などです。これは自分を自分たらしめたり、自分の言動に一貫性を持たせるためにとても大事なものです。しかし、それは硬直化してもいけないものなのです。もっと言えば、
いつまでも同じポリシーや信条等に囚われ続けるということはいつまでも成長しないことと同じ
ともいえるからです。もちろん、自分のポリシーや信条を考えなしに変えてしまうのはよくありません。しかし、固執しすぎると自分が成長するための致命的な足枷になってしまうことがあるのも事実です。
年をとればとるほど、何かの分野でベテランと言われるようになればなるほど、同じポリシーや信条に疑問を持たずにしがみついていれば正直楽なのは当たり前です。これは言うなれば老執とでも呼べばいいのかもしれません。でも、というかだからこそ知らず知らずのうちに、それこそ楽をして成長することをさぼっているという可能性すら含めて、自分が何かに固執しすぎていないか、という自問自答は誰しも続けたいものです。