先日と若い友人(と勝手に思っている方)とお話しているときに、職業の話になりました。
職業の話と言っても具体的な話ではなく、私が世間一般に職業を聞かれたときにどうこたえるか?という話です。
もちろん私の本業は司祭ですが、宗教というものはまともにやっていると赤字は増えてもそれで食っていけるものでもありません。とはいえ、霞を喰って生きていくわけにもいかず、神に祈ってもガス水道光熱費を「祓って」もらえるものでもありません。
そこで今まで数多くの仕事をしてきました。
とはいえ、嫌いな仕事はしない主義なので部分部分のつまらなさはあっても、トータルではそんなに嫌な仕事はしないで済んできています。逆に言えば収入で仕事を選ばないので必づしも実入りがいいものばかりとは言えませんし、ろくでもない結果に終わったものもそれなりにあります。
さて、今まで経験した業種は数知れず、それこそ色々な仕事をしてきましたがそれを全部説明するのは大変なことになります。でも、たいていの場合私のその時の仕事を説明するには今までの蓄積を前提として説明しないと理解していただけない場合が多いのも事実です。
そこで私は毎度自分の仕事の共通項を探すことになります。
しかし、これがまた難しい。
自分で言うのもなんなのですが、とても一人の職歴じゃあない(笑い
結局、唯一共通するのは「先生と呼ばれる職業」というものがほとんど、ということ。
もちろん中には例外もそれなりにありますがメインの共通項はそうなる事に30代の頃に気が付きました。
以来、私は職業を聞かれた時には
「職業は馬鹿でございます」
とお答えするようになりました。
だっていうじゃないですか。
「先生と呼ばれるほどの馬鹿はなし」
と。で、それが職業。
もうこれはあれです。
私はプロフェッショナルな馬鹿を数十年、人生の大半を実践していることになります。
さて、馬鹿にも色々な馬鹿が世の中には存在します。
私はどんな馬鹿なのだろう?と考えたときに、あまりに当てはまるものが多いことに気が付き、これはいっそ逆を考えるほうが簡単だということがわかりました。
まづ、自分が馬鹿だということがわからない馬鹿(あるいは自分が優秀だと悲しくも勘違いをしている馬鹿)、これはいけません。私が一番気を付けなければいけないと思うのは自分がこの類の馬鹿にならないようにすることです。
次に、自分が未熟だということを自覚しない馬鹿です。これも同じくらいにいけません。物を知らない馬鹿なのに学ぶ機会を自分からなくしてしまいます。
とりあえず、この2つに当てはまらなければあとは、たいていの馬鹿のカテゴリーに当てはまるかな、と自分を見直しつつ大笑い。
考えてみると馬鹿というのはある意味気楽でございます。
見栄を張る必要も、虚勢を張る必要もありません。
そう考えるとこのプロフェッショナルな馬鹿、こんなに気楽な稼業は他になかなかないのかもしれませんね。