2020年12月5日土曜日

ブログの難しさ

今年書いたブログが5つ。

なんともはや……

お題を誰かから頂けばすぐに色々かけるのですが、案外ブログを書こうと思っても何について書くかがなかなか出てきません。

毎日ブログを更新している方は世の中にたくさんいらっしゃいますが、仮に本当にくだらない事を書いてあったとしても、よくあれだけ毎日ネタを見つけられるなぁ、と正直尊敬の念を持たざるを得ません。

色々私のブログが更新されない理由を考えてみたのですが、やはりネタが見つからない、につきます。

今年ももう終わりに近づいています。この冬は雪が早く、ここ数日は連日降っています。ある意味北東北らしい気候と今のところは言えるのかもしれません。

それでは今後もネタが色々みつかりますように!(祈り)

2020年6月8日月曜日

熱中症

今年は既に連続で何度も熱中症になっています。
今居るところにクーラーがなく、水分を1日5リットルは摂っているのですが汗が出なくなって、体温が上昇して、目が回ってきたりします。そして、夜ちょっとましになってきたかな、と思うと大体気温が24℃を下回っています。どうやら、私は正確に気温が25°を超えると危険温度になるようです。

で、おかげさまで5日の金曜日に工事の人がきて1日がかりでクーラーを取り付けてくれました。

「これで明日から大丈夫!」

と喜んでいたら、翌日どうしようもなく全身がだるいのです。
約10日ぶりに安眠できたら、一気に疲れが出たようで、結局、昨夜までほぼ寝込んでおりました。

もう少ししたら、完全回復できるかな、と期待していますが思ったよりダメージが大きかったようです。

世の中、コロナの話題ばかりですが熱中症はコロナや3密関係なく忍び寄ってきます。皆さんも熱中症にはくれぐれもお気をつけください。


2020年4月20日月曜日

占いは転ばぬ先の杖

占いとは、という事を聞かれることが時々あります。
また、私も占い師になりたいと志している方からどう学んでいったらいいか、どうしたらプロとしてやって行けるか、というご相談をお受けしたときに必づ最初に「占いとはどういうもの?」という質問をします。

この質問に対する答えは色々なものがあると思います。私も最初は色々考えていたのですが、この40年くらいは一貫して

「占いは転ばぬ先の杖」

と答えています。

誰も明日のことはわかりません。
誰も自分の行動の結果何が起こるかわかりません。
もちろん、かなり正確に予測できることもあるでしょう。でも、それだって予測の域は出ません。わかっているわけではないのです。
だからこそ、転ばぬ先の杖として役立つものとして占いがあるのです。
私はそう考えていますし、多くの人たちにそう語ってきました。

ところで、占いについて色々と難しい事をいうことはいくらでもできます。偉そうな持論や専門用語を振り回すことは専門家にとってはステッキを振り回すより簡単です。どの分野の専門家だったとしてもこれは共通する話だと思います。

ちなみにどうでも良い話ですがバランスの良い品質の優れた杖ほど軽々と回すことができます。逆に言えば、バランスの良い、使いやすい杖はよく回ります。杖を買う時は軽く振り回してみると簡単に善し悪しがわかります。私が愛用している杖もよく回ります(笑い

どうでもいいと言いつつ杖の写真(笑い
閑話休題

ともあれ、プロになればなるほど、自分の専門については「まったく知らない人が理解できる表現」で語れるようにならなければいけません。ステッキを振り回しているうちはまだまだプロと名乗る資格がない、というのはどの世界でも共通して言えることです。

表題から結論まで、話がずれまくりましたがたまにはご愛嬌ということで(笑い


2020年1月11日土曜日

指導者の条件

書店に行くと「リーダーの条件」とか「人を動かすには」など、リーダー論の本は山ほどあります。

そうした本を読んでいて思うのは、表現の仕方は違っても結局同じことばかりだな、という事です。

Leader = 指導者

で、どうもカタカナのリーダーというとなにかチームのトップのような感じで軽いように伝わってきますが、実際には盟主などもLeaderで表されます。

何か限られた目的のチームリーダーなどなら、具体的な指針があれば意外とうまくいくものではないかと、多くの「リーダーと呼ばれる人たち」を長年見てきて思います。しかし、指導者としてのリーダーとなると案外そうした具体的指針などあってもなくても大勢に影響はないように感じます。

そんな事を考えつつ「指導者の条件」というものを考えると結局の所

清濁併せ呑む

という辺りにあるのかな、と思うのです。そして「濁」も飲むということはそれによって返ってくる反作用(たとえば、非難や不名誉などがあると思います)を黙って受け止める覚悟が必要になってきます。

たぶんこれがあれば他はどうとでもなるのではないかと思います。と、言ってしまうのは簡単ですが、案外これが一番難しいのではないでしょうか。



2020年1月10日金曜日

悪いことは悪い、正しいことは正しいとはっきり言おう

これは私がよく人にお話するものなので、聞いたことがある方も多いと思います。

表題の言葉は私が小学校1年生の時に黒板の上に貼られていた紙に書かれていました。
そしてこれを毎朝、皆で読み上げるのです。

私はこの言葉はとても素直に受け入れていました。
今思えば、これは私の価値観を形作ったものたちの中でもかなり中心的な物になったと思います。

悪いことは悪い、正しいことは正しいとはっきり言おう

私がはじめて人の言葉に対して意識して感銘を受けたのはおそらくこの言葉が最初だったと思います。なんとシンプルかつ分かりやすく、そして当たり前のことをきちんと端的に表した言葉だろう、と。ある意味、世の中の真理の一つを教えてくれるような言葉だとさえ思っていました。

さて、子供がこういう言葉を言っても、大人は微笑ましく、時として「良いことを言うな」と褒めてさえくれます。こうした周りの大人の評価は益々この言葉の正しさを後押ししてくれて、いつしかこれは私の中で「当たり前のことの一つ」として定着しました。

ところが、です。
大人になり、社会に出てからこれを素直に実践したら文字通り袋叩きにあいました。
理不尽です。

どうやら、実際の社会ではこの言葉を素直に実践すると都合の悪い人がたくさんいるようです。でも、それはそういう人たちの方が間違っているに決まっています。だから、いつか周りが味方をしてくれるに決まっている、と思いさらに実践し続けました。

すると、助けがくるどころかさらに袋叩きにあいます。
やがて、親切そうな顔をして「そんなに物事を馬鹿正直に口にしてはいけないよ」というような事を忠告してくれる年長者が現れます。

おや?世の中というのは正直に物事を言ってはいけないのかな?
時として嘘をついたり、不正を見逃すのが正しいあり方なのかな?

という、これはなんとも腑に落ちない状況です。

とはいえ、だからといって簡単に、そして保身だけを理由に

「自分が正しいと思ったことを捨てられない」

というのが性分。

結局社会に出てから20年ほどは叩かれ続けてきましたが、いつしか叩く人も叩ける人もいなくなり、ようやく自分の性分を結果的にではあっても押し通してきた人生が多少は穏やかになりました。

性分を貫かなければもっと得をしただろうということはたくさんあります。
流れに身を任せた方が得をしたのが確実だったこともたくさんあります。
何よりそんなものを貫かなければ楽だったと思います。

でも、そうしたことを貫いたからこそ若い人たちに堂々と向かい合えるのも事実です。
自分に対して恥ずべきものを感じずにいられます。
それはたぶん私の人生の最期に後悔を減らしてくれると年とともに実感しています。

そして何よりも若い人たちに

悪いことは悪い、正しいことは正しいとはっきり言われても困らない大人

になれたことが、何よりも一番なのかな、と思っています。


2020年1月3日金曜日

謹賀新年

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。

さて、令和初の正月です。
正直、3つ目の元号を迎えるというのはあまり想像していなかったので何とも言えない感慨に耽っております。

もっとも明仁上皇陛下が私の両親と同世代ということを考えれば、十分あり得る話でしたが、やはり実際にその時を迎えるまで想像ができなかったのも事実です。

平成初の正月は、ほぼ1年たった後とはいえ昭和の天皇陛下崩御の後。
手放しのおめでとうはいえない雰囲気でした。

それに比して、令和の正月は穏やかに、そしてお祝いの心で迎えています。

今年がみなさまにも良い1年となりますように。