2020年1月10日金曜日

悪いことは悪い、正しいことは正しいとはっきり言おう

これは私がよく人にお話するものなので、聞いたことがある方も多いと思います。

表題の言葉は私が小学校1年生の時に黒板の上に貼られていた紙に書かれていました。
そしてこれを毎朝、皆で読み上げるのです。

私はこの言葉はとても素直に受け入れていました。
今思えば、これは私の価値観を形作ったものたちの中でもかなり中心的な物になったと思います。

悪いことは悪い、正しいことは正しいとはっきり言おう

私がはじめて人の言葉に対して意識して感銘を受けたのはおそらくこの言葉が最初だったと思います。なんとシンプルかつ分かりやすく、そして当たり前のことをきちんと端的に表した言葉だろう、と。ある意味、世の中の真理の一つを教えてくれるような言葉だとさえ思っていました。

さて、子供がこういう言葉を言っても、大人は微笑ましく、時として「良いことを言うな」と褒めてさえくれます。こうした周りの大人の評価は益々この言葉の正しさを後押ししてくれて、いつしかこれは私の中で「当たり前のことの一つ」として定着しました。

ところが、です。
大人になり、社会に出てからこれを素直に実践したら文字通り袋叩きにあいました。
理不尽です。

どうやら、実際の社会ではこの言葉を素直に実践すると都合の悪い人がたくさんいるようです。でも、それはそういう人たちの方が間違っているに決まっています。だから、いつか周りが味方をしてくれるに決まっている、と思いさらに実践し続けました。

すると、助けがくるどころかさらに袋叩きにあいます。
やがて、親切そうな顔をして「そんなに物事を馬鹿正直に口にしてはいけないよ」というような事を忠告してくれる年長者が現れます。

おや?世の中というのは正直に物事を言ってはいけないのかな?
時として嘘をついたり、不正を見逃すのが正しいあり方なのかな?

という、これはなんとも腑に落ちない状況です。

とはいえ、だからといって簡単に、そして保身だけを理由に

「自分が正しいと思ったことを捨てられない」

というのが性分。

結局社会に出てから20年ほどは叩かれ続けてきましたが、いつしか叩く人も叩ける人もいなくなり、ようやく自分の性分を結果的にではあっても押し通してきた人生が多少は穏やかになりました。

性分を貫かなければもっと得をしただろうということはたくさんあります。
流れに身を任せた方が得をしたのが確実だったこともたくさんあります。
何よりそんなものを貫かなければ楽だったと思います。

でも、そうしたことを貫いたからこそ若い人たちに堂々と向かい合えるのも事実です。
自分に対して恥ずべきものを感じずにいられます。
それはたぶん私の人生の最期に後悔を減らしてくれると年とともに実感しています。

そして何よりも若い人たちに

悪いことは悪い、正しいことは正しいとはっきり言われても困らない大人

になれたことが、何よりも一番なのかな、と思っています。