そうした本を読んでいて思うのは、表現の仕方は違っても結局同じことばかりだな、という事です。
Leader = 指導者
で、どうもカタカナのリーダーというとなにかチームのトップのような感じで軽いように伝わってきますが、実際には盟主などもLeaderで表されます。
何か限られた目的のチームリーダーなどなら、具体的な指針があれば意外とうまくいくものではないかと、多くの「リーダーと呼ばれる人たち」を長年見てきて思います。しかし、指導者としてのリーダーとなると案外そうした具体的指針などあってもなくても大勢に影響はないように感じます。
そんな事を考えつつ「指導者の条件」というものを考えると結局の所
清濁併せ呑む
という辺りにあるのかな、と思うのです。そして「濁」も飲むということはそれによって返ってくる反作用(たとえば、非難や不名誉などがあると思います)を黙って受け止める覚悟が必要になってきます。
たぶんこれがあれば他はどうとでもなるのではないかと思います。と、言ってしまうのは簡単ですが、案外これが一番難しいのではないでしょうか。