2018年12月11日火曜日

現実は想像を超えてアイロニカルな時がある

数日前、駅の改札前を歩いていたらそこからつながる通路の所で若くても70代であろう男女が数人、大きな紙袋を抱えて集まっていた。

まぁ、屋根も壁もあり、駅ビルの暖房が漏れてきているからかそんなに寒くもない場所の隅っこに陣取り何やらしているけれど、それでも皆さんご高齢、シルバー人材のアルバイトか何かは知らぬが、あの年で風邪でもひいたら大変なことになるやもしれぬ、などと余計な心配をしつつ、そのまま素通りして所用に向かった。

用事を済ませ、30分ほどしてまたそこに戻ると、彼らは通路の両側に陣取って署名活動をしていた。中には首から画板のごとき板(署名板というには巨大だから画板に見えた)を首から下げて道行く人に声をかけているご老人もいた。

「核兵器反対の署名にご協力を」

と言いながら徘徊していくその姿が私の目は、それこそ何十年か前、自分たちがデモ行進などをすることで、あるいはデモ行進の後の酒場で熱い議論をすることで世界が変えられると信じていた素直で、おバカな左翼学生だった私たちがやっていたことの劣化コピーにしか映らなかった。

そもそも、核兵器廃絶の署名をいくら東北で集めたところで米露を中心とした核兵器保持国家が核兵器を廃絶するなどということはあり得ないし、北朝鮮の3代目が

「日本でこんなに署名が集まったのでは仕方ない、核兵器を廃絶しよう」

などと思うはずもない。このようなことは考えるだけでも出来の悪い笑い話にしかならない。

とはいえ、このときであった方々は考えてみれば団塊の世代。つまり60~70年代に学生運動の中心になっていた人たちの世代である。その当時彼や彼女たちが学生運動に積極的に参加していたかはともかく「そうした空気」を知っている世代であり「そうした空気の中に青春時代を感じていた」世代である。

定年を迎え時間も余裕もある。家にいてもすることがない。あるいは夫が定年になり毎日家にいる。お互い、いえにずっと一緒にいてもすることもないし、会話も続かない。こうした相談は仕事柄よく受けるのだが、たしかにこうした世代の人たちが「青春よ再び」のような気持ちでこうした運動を主催したり、参加したりするのはたしかにあり得る話だ、と妙に納得した。もちろん、表面的には現状に憤慨して義憤によって立つ、という感じなのだろうが、彼らが「第2の青春」を堪能していることは本人たちを含め誰も否定はできないと思う。

学生を中心とした若者にとってビラを刷ったり、ビラまきの許可を取ったり(これにも数千円から一万円くらいはかかる)するというのは結構な負担だが、リタイア組のご老人たちにとっては大した金ではなかろう。そして、署名活動やビラまきが終わったらそのまま喫茶店だか居酒屋だかは知らぬが、政権批判を熱く語り合うのだろう。間違いなく、いつか来た道、青春Come Back!である。

しかし、ちょっと冷静に過去を思い返せばこれは想像を絶する光景を何十年もの時を隔てて見たことにもなることに気付いた。

我々の頃は政権批判、現体制の打破、核兵器反対運動などはまだ世の中も知らない若者のものだった。あるいはそうした若者をうまく使った左翼政治家のものだった。そしてその頃の大人、ましてや高齢者はいくら若者が訴えても「現実」という言葉を盾に話を聞かない頑固者だった。しかし今、高齢者が核廃絶を訴え、政権批判をしている横を学生たちが素通りしていく。これは一体全体どんな悪趣味きわまりない笑い話なのか!

こうしたことについて社会学的に、あるいは歴史的にとらえて解説することは簡単である。しかし、それは今の話題ではない。

ただ、私が感じたのは若かりし頃

「どうして大人たちは私たちの国を思う気持ちを、世界をよくしようという気持ちをわからないんだ!」

「なぜ大人は自分たちさえよければいいというのか!」

大人は現実などという言葉に隠れて、結局は自分たちが何もしないことの言い訳をしているだけじゃないか!」

等々と思っていたが、ようやく高齢者たちがそうした言葉を聞くようになった、とはもちろん言えない。要するに、あの時一緒にそのようなことを語り合った先輩たちがこの年になってもやっている、だけなのだ。しかし、だからと言って、こんなアイロニカルな光景を目にするなどということは、考えればあり得そうなのにかけらも考えなかったのは事実だ。

おそらく、あの時の彼や彼女たちは素通りしていく若者に対して私が若かりし頃に感じた言葉の「大人」「若者」に変えてそのまま感じていたのだと思う。

そんな感慨にふけりながら彼らの中を素通りしなつつ、一番端っこで訴えていた女性の言葉が妙に引っかかった。

「広島、長崎を二度と繰り返さないための署名です!」

たぶん、彼女は説得力のある、きめ言葉のつもりで何度も連呼していたのだろう。実際彼女の声は一番響いていたし。

しかし、である。当たり前のことながら、広島、長崎の原爆は日本人が行ったものでなく、日本人が外国、つまりアメリカからなされたものである。

逆に言えば「広島、長崎を二度と繰り返さない」ということは二度と原爆を落とされないようにしよう、という意味になる。では現実的に日本が核攻撃されないようする一番の現実的近道は何か?それは言うまでもない

「日本が核保有国になること」

である。つまり「核兵器反対署名活動」の中で彼女は「核武装のための署名」を行っていることになってしまうのである。

これには思わず苦笑してしまったが署名活動など言論で世の中を変えようというなら、もう少し言葉に気を使ってほしいものである。何も進んで老い恥を晒すことはない。

2018年9月18日火曜日

魔女の「花鏡」(2) 是非初心不可忘

今回は一つ目の

「是非初心不可忘(是非の初心を忘るべからず)」です。


(応永中期筆『花伝第七別紙』花伝書最終章 観世アーカイブより引用)

これはある意味一番分かりやすい初心です。これは若い時、必づしも肉体年齢で若いという意味だけではなく、自分の進む道(むろん、世阿弥は「能」の芸道を指しています)を歩み始めた頃、という意味でもあります。

そしてそうした若い頃、修行を始めた頃、失敗したり、苦労したりして身につけたものは常に忘れてはならない、ということと、入門したての頃に感じたり考えたりしたことを忘れては駄目だという事を教えています。

なぜなら、若い時分の失敗や苦労によって身につけたものは後々の成功の元となるし、これを忘れた、自分のベースを忘れることに他ならないので、無意識のうちに地に足のついていない状態になり、先々上達することができなくなってしまう、ということだと語っています。

また、人間誰しもその道のベテランになってくるとどうしてもその道に入りたての頃の感じ方や見え方がわからなくなってしまいがちなものだから、それを忘れるな、という戒めにも解釈できます。

以上が一般的な世阿弥の「是非初心不可忘」の解釈ですが、世阿弥の「花伝書」など他の著作を読んでいくとこの言葉にはもう一つ大事なことが述べられているように私には感じます。それは

「最初に是非もなく、師匠に叩き込まれた伝統的な芸の型を、後にどんなに自分なりに大成したとしても忘れてはならない。もし忘れると、それは自分のさらなる成長、進化に限界を作ってしまうことになる」

という意味です。それは芸事や武道、芸術などでよく言われる「守破離」とも関連してくるものだと思います。

ご存じの方の方が多いと思いますが「守破離」とは、師匠に叩き込まれた「型」を守り、完全に自分のものとする所(守)から始まり、その上で自分なりのさらに改良した「型」を造り上げ(破)、さらにそれらを超越し、「型」というものからすら自在になる(離)という修行の段階を示したものです。

さらに、この「離」の次にくる新たな地平は実は最初の「守」に立ち帰ることで見えてくるものなのです。なぜならそれは自分が受け継いだ伝統を更新する作業に他ならないからです。

これは魔女が自分の継承した伝統を本当の意味で、そして文字通り自分の基礎とし、時代や環境(ヨーロッパと日本、アメリカと日本などのような地理的なものなど)に合わせてよりよいものに変えていく上での大事な心構えにほかなりません。

では、次回は2つ目の初心「時々初心不可忘」です。

この「伝統の更新」について詳しい話は以前書いた「伝統というもの(1)」「伝統というもの(2)」をご参照ください。

2018年9月6日木曜日

魔女の「花鏡」(1)

世阿弥「花鏡」
(独立行政法人日本芸術文化振興会
「文化デジタルライブラリー」より)
口伝について先日書いて、ふと思ったのですが、室町時代前期の能役者で能作者としても知られる世阿弥が能の奥義として口伝せよ、と残したものに「初心忘れるべからず」というのがあります。

「初心勿忘」

四字熟語で書くと「初心忘るなかれ」でこうなるようです。
そういわれればなるほど、となるんですが、今まで調べたことなかったな、と(笑い

この初心、「何かを始めるときに最初に抱いた志」という意味です。

つまり、学問でも芸事でもなんでも、始めたときに志した最初の目標、という感じで、この意味でいえば初心忘れるべからず、というのは最初の目標を習性忘れずに励みなさい、というような意味になります。

私も初期のブログの中で「初心を忘れないで続けていきたい」というようなことを書いています。
この時の私も「最初の気持ちを忘れずにいたい」程度の意味しか考えていませんでした。
でも今回はこの言葉をもっとしっかりと考えてみたいと思います。

そもそもこの「初心」という言葉の意味はとんでもなく本来は深いものなのです。
世阿弥のいう「初心」はこの「最初の志」を超えて、一つの道を突き詰めていけば、その中にいくつもの初心があるといっているのです。

その「いくつもの初心」というのが実は魔女の修行等にも通じるものなのです。

とはいえ、魔女に興味を持って、魔女を志す人で世阿弥の「花鏡」にも興味を持っている人はほとんどどいないと思います(笑い

そこで、少し丁寧に取り上げてみたいと思いました。また同時に「こうした読み方をしていくと一件全く無関係なものが魔女の修行に役に立つ」という一つの手本になるのではないかという期待も実は少し持っています。

ところでこの「初心忘るなかれ」は「初心忘れるべからず」という方が一般的ではないかと思います。
実は私もこっちの方がなじみがあります。

それもそのはず、世阿弥の代表作「風姿花伝」に出てくる言葉として有名なのはこっちの方だから日本人にはこっちの方がなじみ深くて当たり前なのです。「風姿花伝」の中の言葉として有名といいましたが、実は世阿弥の芸能論中期の最重要作品である「花鏡」の結論部分、つまり「花鏡」の中で最も重要な事として再登場し「風姿花伝」にはない、深い話が出ています。

この「初心忘れるべからず」は

「初心不可忘」

と書きます。そしてこれが冒頭の世阿弥によるものなのです。

そしてこの「初心忘ることなかれ」を奥義として口伝せよ、というだけあって能と関係ない私たちにも非常に大きなものを与えてくれます。

最初は1回で全部書こうと思ったのですが、それではやたら長くなってしまいそうなので何回かに分けてこの言葉について書いてみたいと思います。もちろん、元の意味を尊重した上で

「魔女としてこの言葉をどういかすか?」

についてをお話ししていくつもりです。


「花鏡」にはこうあります。

  當流に、萬能一徳の一句あり。 
  初心不可忘。
  此句、三ケ條口傳在。

  是非初心不可忘。
  時々初心不可忘。
  老後初心不可忘。

これを現代語にすると、

  自分たちの流派にはあらゆる芸(能)の根源となる一つの徳目がある
  それは「初心忘れるべからず」である
  この言葉には三つの口伝がある

  是非の初心を忘るべからず
  時々の初心を忘るべからず
  老後の初心を忘るべからず

  である

という感じになります。
なんだ、肝心な三つは音読しただけかい、と思われると思いますが、その通りだから仕方ない。

でも、この三つをこれから一つづつお話していく予定なのでとりあえずここは「目次」と思って勘弁してください。

それでは次回は「是非の初心を忘るべからず」についてから始めたいと思います。

2018年8月30日木曜日

魔女の歴史という神話

魔女の歴史はネットで検索しただけでも色々な説が出てきます。

昔(私が駆け出しの頃)は歴史系の学術書で調べたり、あるいは運良く指導者に恵まれた場合は師匠に自分たちの大先輩たちの歴史を口頭で習い覚えたりしたものです。

とはいえ、歴史系の学術書で魔女関連のものは少なく、しかも後の世の史料の発見などで通説と書かれていた気ものが間違っていたりと、これだって大して当てに出来るものではありませんでした。

それでは師匠に口頭で習う魔女の歴史はどんなものでしょう?
ここからは私の経験で話を進めます。

(とんでもなく簡単に話をすれば…)

魔女そもそもの起源はキリスト教よりはるかに古い伝統から始まります。

古代の遺跡に残された壁画などもこの古い魔女のルーツにつながる可能性すらあることを示唆されます。

(中略)

やがて、各集落にいわゆる「村の魔女」としてある時は医師や薬剤師、あるいは助産婦、またあるときは村の長にアドバイスをし、困った人が相談にくれば不思議な術で助け、集落中の人から信頼を得ていた話などが続きます。

(中略)

しかし、そうした幸せな魔女の時代も14世紀以降のヨーロッパを席巻した魔女狩りによって終わりを告げ、魔女たちは地下に潜り、その教えと命脈を保った……
(以下略)

というようなあらましの話を教えられたものです。

ところが、残念ながらこの歴史は間違っています(笑い
そもそも、魔女狩りは1970年代以降の学術的研究や発見された史料などからその始まりは15世紀以降だろうといわれています。また、古代遺跡との関係もかなり怪しいものです。

しかし、そうした正確な歴史がわかってきたらこうした口頭の歴史は修正され、リジナルは忘れられるべきなのか?というと話はそう簡単ではありません。

実はこうした口頭で伝えられる歴史の話の中には後輩の魔女への色々な暗示的な意味が含まれていたり、あるいは(それが事実としては明らかな間違いだとしても)話自体が自分たちの流派のアイデンティティを教えるために、教える側も既に歴史学的に修正されていることがわかっていたとしてもそのまま教えたりするのです。

ある意味正確な歴史はあとから自分で学べばよい、という発想なのかもしれません。

この口頭で伝えられる歴史の大切さはその流派にとってのアイデンティティを伝えるためのものであり、ある意味その流派にとっての神話とも言えるものなのです。

どの国の神話も歴史学的に、自然科学的に最新技術で検証した場合間違っていたり、そこまでするまでもなくあり得ない話になっているものの方が多いのは誰もが認めることだと思います。しかし、神話の全てが厳密な意味での事実でないからといって、あるいは事実でない部分があるからといって神話の価値がなくなったり、人々が神話を捨てさったりすることはありません。

神話には歴史とは別の、そしてある意味歴史以上の意義と価値があるからです。

そうしたことを頭に入れて魔女の歴史に向き合うことが本来の姿なのです。

もちろん、こうした口頭によって代々伝えられたものではない「新しい魔女の歴史」も今ではいくつも存在します。それは20世紀半ば以降のフェミニズムの考え方を強く反映させたものであったり、神話を新しく造り上げてそれを元にしたものや、あるいは口頭の歴史の一部を誰かが改変して伝えているものなどさまざまです。

でも、そうしたものもそれを信奉する魔女たちにとっては事実以上に大事なもの出ある場合も少なくないでしょう。

魔女や魔女志願者にとっては自分が学んだり、伝えられた魔女の歴史に対して

「そこから何を学び、何を自分のものとしていくか」

を時々立ち止まって考えてみることが大事なのです。


ブログの整理

ふと思い立ってブログの整理をし始めました。

従来の「橘青洲ブログ」をどちらかというと保存記事用に、こちらをTwitterやぐぐたす等の延長線上に、というイメージにしていこうと思っています。

なので、今後更新はこちらがメインになる予定です。
そして、ここで書いたことなどをまとめたものが上記のブログに「さりげなく更新」される予定です(笑い

それでは今後ともよろしくお願いします。

2018年1月2日火曜日

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。
このブログは年1回の更新ペース。
と,いうより、年に一回「生存確認」をしている岳なのだろうか?と我ながら思ってしまいました。
それでは今年もよろしくお願いします。