まぁ、屋根も壁もあり、駅ビルの暖房が漏れてきているからかそんなに寒くもない場所の隅っこに陣取り何やらしているけれど、それでも皆さんご高齢、シルバー人材のアルバイトか何かは知らぬが、あの年で風邪でもひいたら大変なことになるやもしれぬ、などと余計な心配をしつつ、そのまま素通りして所用に向かった。
用事を済ませ、30分ほどしてまたそこに戻ると、彼らは通路の両側に陣取って署名活動をしていた。中には首から画板のごとき板(署名板というには巨大だから画板に見えた)を首から下げて道行く人に声をかけているご老人もいた。
「核兵器反対の署名にご協力を」
と言いながら徘徊していくその姿が私の目は、それこそ何十年か前、自分たちがデモ行進などをすることで、あるいはデモ行進の後の酒場で熱い議論をすることで世界が変えられると信じていた素直で、おバカな左翼学生だった私たちがやっていたことの劣化コピーにしか映らなかった。
そもそも、核兵器廃絶の署名をいくら東北で集めたところで米露を中心とした核兵器保持国家が核兵器を廃絶するなどということはあり得ないし、北朝鮮の3代目が
「日本でこんなに署名が集まったのでは仕方ない、核兵器を廃絶しよう」
などと思うはずもない。このようなことは考えるだけでも出来の悪い笑い話にしかならない。
とはいえ、このときであった方々は考えてみれば団塊の世代。つまり60~70年代に学生運動の中心になっていた人たちの世代である。その当時彼や彼女たちが学生運動に積極的に参加していたかはともかく「そうした空気」を知っている世代であり「そうした空気の中に青春時代を感じていた」世代である。
定年を迎え時間も余裕もある。家にいてもすることがない。あるいは夫が定年になり毎日家にいる。お互い、いえにずっと一緒にいてもすることもないし、会話も続かない。こうした相談は仕事柄よく受けるのだが、たしかにこうした世代の人たちが「青春よ再び」のような気持ちでこうした運動を主催したり、参加したりするのはたしかにあり得る話だ、と妙に納得した。もちろん、表面的には現状に憤慨して義憤によって立つ、という感じなのだろうが、彼らが「第2の青春」を堪能していることは本人たちを含め誰も否定はできないと思う。
学生を中心とした若者にとってビラを刷ったり、ビラまきの許可を取ったり(これにも数千円から一万円くらいはかかる)するというのは結構な負担だが、リタイア組のご老人たちにとっては大した金ではなかろう。そして、署名活動やビラまきが終わったらそのまま喫茶店だか居酒屋だかは知らぬが、政権批判を熱く語り合うのだろう。間違いなく、いつか来た道、青春Come Back!である。
しかし、ちょっと冷静に過去を思い返せばこれは想像を絶する光景を何十年もの時を隔てて見たことにもなることに気付いた。
我々の頃は政権批判、現体制の打破、核兵器反対運動などはまだ世の中も知らない若者のものだった。あるいはそうした若者をうまく使った左翼政治家のものだった。そしてその頃の大人、ましてや高齢者はいくら若者が訴えても「現実」という言葉を盾に話を聞かない頑固者だった。しかし今、高齢者が核廃絶を訴え、政権批判をしている横を学生たちが素通りしていく。これは一体全体どんな悪趣味きわまりない笑い話なのか!
こうしたことについて社会学的に、あるいは歴史的にとらえて解説することは簡単である。しかし、それは今の話題ではない。
ただ、私が感じたのは若かりし頃
「どうして大人たちは私たちの国を思う気持ちを、世界をよくしようという気持ちをわからないんだ!」
「なぜ大人は自分たちさえよければいいというのか!」
「大人は現実などという言葉に隠れて、結局は自分たちが何もしないことの言い訳をしているだけじゃないか!」
等々と思っていたが、ようやく高齢者たちがそうした言葉を聞くようになった、とはもちろん言えない。要するに、あの時一緒にそのようなことを語り合った先輩たちがこの年になってもやっている、だけなのだ。しかし、だからと言って、こんなアイロニカルな光景を目にするなどということは、考えればあり得そうなのにかけらも考えなかったのは事実だ。
おそらく、あの時の彼や彼女たちは素通りしていく若者に対して私が若かりし頃に感じた言葉の「大人」を「若者」に変えてそのまま感じていたのだと思う。
そんな感慨にふけりながら彼らの中を素通りしなつつ、一番端っこで訴えていた女性の言葉が妙に引っかかった。
「広島、長崎を二度と繰り返さないための署名です!」
たぶん、彼女は説得力のある、きめ言葉のつもりで何度も連呼していたのだろう。実際彼女の声は一番響いていたし。
しかし、である。当たり前のことながら、広島、長崎の原爆は日本人が行ったものでなく、日本人が外国、つまりアメリカからなされたものである。
逆に言えば「広島、長崎を二度と繰り返さない」ということは二度と原爆を落とされないようにしよう、という意味になる。では現実的に日本が核攻撃されないようする一番の現実的近道は何か?それは言うまでもない
「日本が核保有国になること」
である。つまり「核兵器反対署名活動」の中で彼女は「核武装のための署名」を行っていることになってしまうのである。
これには思わず苦笑してしまったが署名活動など言論で世の中を変えようというなら、もう少し言葉に気を使ってほしいものである。何も進んで老い恥を晒すことはない。