2018年9月6日木曜日

魔女の「花鏡」(1)

世阿弥「花鏡」
(独立行政法人日本芸術文化振興会
「文化デジタルライブラリー」より)
口伝について先日書いて、ふと思ったのですが、室町時代前期の能役者で能作者としても知られる世阿弥が能の奥義として口伝せよ、と残したものに「初心忘れるべからず」というのがあります。

「初心勿忘」

四字熟語で書くと「初心忘るなかれ」でこうなるようです。
そういわれればなるほど、となるんですが、今まで調べたことなかったな、と(笑い

この初心、「何かを始めるときに最初に抱いた志」という意味です。

つまり、学問でも芸事でもなんでも、始めたときに志した最初の目標、という感じで、この意味でいえば初心忘れるべからず、というのは最初の目標を習性忘れずに励みなさい、というような意味になります。

私も初期のブログの中で「初心を忘れないで続けていきたい」というようなことを書いています。
この時の私も「最初の気持ちを忘れずにいたい」程度の意味しか考えていませんでした。
でも今回はこの言葉をもっとしっかりと考えてみたいと思います。

そもそもこの「初心」という言葉の意味はとんでもなく本来は深いものなのです。
世阿弥のいう「初心」はこの「最初の志」を超えて、一つの道を突き詰めていけば、その中にいくつもの初心があるといっているのです。

その「いくつもの初心」というのが実は魔女の修行等にも通じるものなのです。

とはいえ、魔女に興味を持って、魔女を志す人で世阿弥の「花鏡」にも興味を持っている人はほとんどどいないと思います(笑い

そこで、少し丁寧に取り上げてみたいと思いました。また同時に「こうした読み方をしていくと一件全く無関係なものが魔女の修行に役に立つ」という一つの手本になるのではないかという期待も実は少し持っています。

ところでこの「初心忘るなかれ」は「初心忘れるべからず」という方が一般的ではないかと思います。
実は私もこっちの方がなじみがあります。

それもそのはず、世阿弥の代表作「風姿花伝」に出てくる言葉として有名なのはこっちの方だから日本人にはこっちの方がなじみ深くて当たり前なのです。「風姿花伝」の中の言葉として有名といいましたが、実は世阿弥の芸能論中期の最重要作品である「花鏡」の結論部分、つまり「花鏡」の中で最も重要な事として再登場し「風姿花伝」にはない、深い話が出ています。

この「初心忘れるべからず」は

「初心不可忘」

と書きます。そしてこれが冒頭の世阿弥によるものなのです。

そしてこの「初心忘ることなかれ」を奥義として口伝せよ、というだけあって能と関係ない私たちにも非常に大きなものを与えてくれます。

最初は1回で全部書こうと思ったのですが、それではやたら長くなってしまいそうなので何回かに分けてこの言葉について書いてみたいと思います。もちろん、元の意味を尊重した上で

「魔女としてこの言葉をどういかすか?」

についてをお話ししていくつもりです。


「花鏡」にはこうあります。

  當流に、萬能一徳の一句あり。 
  初心不可忘。
  此句、三ケ條口傳在。

  是非初心不可忘。
  時々初心不可忘。
  老後初心不可忘。

これを現代語にすると、

  自分たちの流派にはあらゆる芸(能)の根源となる一つの徳目がある
  それは「初心忘れるべからず」である
  この言葉には三つの口伝がある

  是非の初心を忘るべからず
  時々の初心を忘るべからず
  老後の初心を忘るべからず

  である

という感じになります。
なんだ、肝心な三つは音読しただけかい、と思われると思いますが、その通りだから仕方ない。

でも、この三つをこれから一つづつお話していく予定なのでとりあえずここは「目次」と思って勘弁してください。

それでは次回は「是非の初心を忘るべからず」についてから始めたいと思います。