伝統は上書きされるものではなく、付け足され続けるものだ、という話を書きました。ところで魔女を名乗る人の中には時々妙に「自称革新派」のような感じの人が出てきます。
「自分たちが新しいものを創りだす」
「自分たちが今までの古い体質を打破する存在だ」
というような感じです。
これが伝統に新しい物を付け加えていく、という意味なら素晴らしい話です。しかし、こうした人の魔女観をよく聞いていると、必づしもそういうわけではなく、どうも海外で多い「魔女=rebel」というイメージがメインになっていることが多いようです。これは国の内外を問わず、私が実感してきた中でもそうした考えを声高に主張する人が現れては消え、また現れては消え、という歴史の繰り返しだったような気がします。
そして、そういう人はどの時代であっても、それを誰かから批判されたり、あるいは疎外されたと感じたりするほど、それこそが「自分たちが本物である証拠」という感じになってしまうことが往々にありました。
もっとも、これは魔女に限らず、どんなジャンルでもそういう思いに突き動かされる人は存在してきましたし、そうしたカルト(否定的な意味ではありません。伝統について(2)を参照)やセクトが現れては消えて行ったのも歴史の中でよく見かけるもので、それと同質のものなのです。日本の学生運動や市民運動(これもよくわからない言葉ですが、それはさておき)の歴史などを見ても、同様の波を見る事ができます。
私自身、若気の至りで10代後半から20代前半の頃、蘆花の言う謀反人気取りで愛国ゆえの左翼活動をやっていた事もありました。だからジャンルを問わず革新的な考え方にそれこそ熱病のように浮かされる心情はとてもよくわかります。分かるどころか、それはそれは、痛いほどに理解できます。
こうしたものは麻疹のようなもので20歳前後までにかかって、そして卒業するのがある意味健全なのだと感じます。今そうしたものに「かぶれる」対象がどのくらい世の中にあるのか?という問題はありますが、もしそうできる対象があるのなら、それはそれで若いうちにしっかり「かぶれて」おくのはぜひ経験しておくべきことでしょう。でも、そうした若さゆえの熱狂のようなものに動かされ、酔っていてもよいのは「やはり若いうち」なのだと思います。ある程度の、つまり青少年という年代ではなくなってからそれをやっているのはちょっと厳しいものがあります。砕けた言い方をしてしまえば
「いい年して、しかもこの時代に、というのはダサくて痛いでしょ」
という一言につきてしまうのでしょう。麻疹と一緒で大人になってからだと重症化して後遺症を残すような感じかな、というのは言い過ぎと言われるかもしれませんが正直な感想です。
閑話休題。
結局、反逆とか謀反というのは、絶大な強敵が「体制として存在すること」が必要なのです。それに徒手空拳で立ち向かう「自分のドンキホーテぶり」に無自覚かどうかは別として酔っているからこそできる部分というのも結構あると思うのです。例えば、海外の魔女ならその流派を問わず、キリスト教という絶対的な体制があるわけで、だからこそ「反逆者としての魔女」つまり「魔女=rebel」というイメージが成立しうるわけです。そしてそれゆえに、伝統に抗う事も反逆にも似た感情に流されて行くのでしょう。
ところがそもそもの話ですが、魔女に限っていえば日本ではそれができないのです。なぜならそれほどの強敵がそもそもいないからです。
さらにいえば、魔女に限らず、日本ではこうした革新的なものは「できないに等しいくらいに難しい」のです。だから、政治活動でさえも戦後から昭和の後半くらいの時代のような先鋭化ができなくなったわけです。そもそも学生・市民左翼運動がそれなりに存在しえたのは中曽根政権までです。逆に言えばそれ以降の自民党政権などは「反逆や謀反の対象」として相手不足になってしまったからなのです。
ましてや魔女の世界で、魔女同士で、伝統と革新などというのは、ちょうど思春期の子どもたちに見られるあの背伸びしがちな言動や態度が過剰に出ているようなものなのです。
なので、今日本で反逆者は謀反人になるのは極めて難しいと思います。ジャンルを問わず、ですが。そうした話題を考えるに思うのは、誰がどの分野であっても「自分の中に革新というものがある」と思うなら一度、徳富蘆花の『謀反論』などを最低限読んで欲しいと思います。そして反逆者、謀反人になるには芯が通っている上で命がけでの覚悟すら時として要求されるということを一度は学んでほしいと思います。
ただ、現代日本においてそれほどの対象が今の世の中にはほとんどない、ということもわかって欲しいと思っています。
(それはそれで私にとっては心底寂しいことなのですが・・・)
私自身、革新から保守へと自分自身が変節していく経験をしました。しかし、それは決して芯がぶれたわけではなく、成長していく中で
「方法論として変わっていった」
にすぎません。
もしかすると革新から革新的保守、過激思想から過激な穏健派への成長という感じなのかもしれません。この辺の感覚は(1)(2)とこのブログで書いた私の伝統というものの理解を参照して頂けるとわかっていただきやすいかもしれません。
これからも、それこそ世紀をいくつ超えても、国内で、あるいはもっとグローバル化された時代には世界で、同じように「自称革新派」の人達は様々なジャンルで出てくるでしょう。そうした人たちは自分の芯がどこにあるのか?ということを問い直してくれればいいな、と思っています。そして変節を恐れず、その芯に忠実にあって欲しいとも思います。
そんなことを話、考えながら
「私もまだまだ老いるわけにはいかないな」
とちょっと思いました。
ともあれ、徳富蘆花の
「新しいものは常に謀反である」
という言葉の深さと重みをしっかり噛みしめつつ、また、若い人たちと一緒に噛みしめながら、私自身まだまだ「謀反人」であり続けたいな、とも思うのでした。
本当の謀叛は歴史に跡を残します。そしてまたその上に次の謀叛が刻まれるのです。その繰り返しの中で伝統は新しく進化していくのです。